フォトヒーラーのハピです。
最近、女優さんの深田恭子さんが適応障害で、芸能活動を休止ということをTwitter情報で知りました。
この適応障害って言葉をきいて、診断されるような状況でなくても、もしかして私はどうなんだろって思った方はいるのではないでしょうか。
気配り上手だったり、人や環境に適応することが得意な方は、周りに適応しすぎて自分のことがわからなくなるということはありませんか?
優しくて、全体のことや相手のことを尊重されている人が、つい陥ってしまう自分の思いが分からなくなってしまうこと。
「相手に適応しすぎて、自分の本当の気持ちや感覚が分からなくなってしまう」方に、どうしたら、そこから一歩抜け出せるのかを書いて行きます。
人や環境に適応しすぎる人ってどんな人?
子供の頃から、協調性が高いですねと通知表に書かれてきたようなあなた。
そんな協調さんにとって、人がどうしたら心地よくすごせるのか、チームの中でだれか気持ちが落ちていないか。
ちょっとした表情の曇りにいち早く反応したりフォローしたりすることは、無意識レベルでしているのではないでしょうか。
相手や全体をおもんばかりすぎる
このタイプの方は、いつも自分のことは後回し。
とにかく、全体のバランスや平安、誰かが傷つかないように全体の雰囲気が穏やかに進むように、そんなことに無意識で感じて行動しています。
そうです、とってもバランス感覚に優れていて、常にアンテナを張って、全体を把握しているのです。
人の感情や心の動きにも敏感で、いつもセンサーは外(自分の周りの空気や人)に向いています。とても優しい心根の方です。
自分の想いや希望は無意識に我慢する
基本的に相手の求めることを満たすことや、近い世界の安全を大事にしています。
人や環境に適応しすぎる人というのは、意思決定の基準は相手軸がスタンダードです。そこに違和感も、疑問も、ましてや怒りなんてないことが多いでしょう。
ちょっとしたことだったら、相手の希望で「いいよ」となります。何がいい?と聞かれた時も、他の人の総意にそって行こうとしたり、そもそも自分の意見をいうことが少ないです。
許容範囲が広いので、どんなことも受け入れる人としての器も大きい人が多いです。
嫌・NOと言わずに背負ってしまう
仕事の上で、人間関係で、ちょっとしたことでは、ちょっとしんどいな、本当は嫌だなという時も(本人は気づかないレベルです)、積極的に引き受けてしまうことも多いです。
心のどこかに、貢献したい、役に立ちたいという ” 自己価値 ” とつながる、心のテーマがあることもあるでしょう。
しかし、本人の中での習慣化によって、相手が求めていることやってほしいと思うことに応えてあげたいという心理から、断ってもいいものでさえ背負ってしまうことはないですか?
「これくらい大丈夫」その積み重ねで、本音が聞こえなくなっていく
日々の人間関係の中での、些細なことだったりします。
欲しくないものをもらったり、行きたくないけど、「行く」と言ってしまって後悔したり。
相手がして欲しそうなことを、先回りしてしてあげたり。
本当はそれは違うと知っていても、波風が立たないようにそっとスルーしたり。
相手のことを思って、本音は言わなかったり。そんなことは日常茶飯事ではないでしょうか。
もちろん、ズバズバと本音だけいうことがコミュニケーションではないので、そのさじ加減は繊細な部分だったりします。
そして、こんな風に環境警察隊みたいになっていると、場を乱すことにとても違和感や罪悪感を感じたりしている人もいます。
そういうことを無意識でして行くと、自分の本音は言わないことが当たり前になって行きます。そして言わないけど、もしくはグチをいうなどしてごまかして行きますが、本当の気持ちは相手に伝わっていないことになります。
常に意識の対象は、自分以外の誰かになっている時間で埋め尽くされて行きます。そうです、自分の心が何をかんじているのか、本当はどうしてほしいのか、何が本当は嫌なのか、そんなことには見向きもしないのが普通になって行きます。
そうして、自分は本当はどうしたいのか、どうしてほしいのか、何がしたいのか、感じなくなってしまっている。これは私の体験でもあります。
多くの「自分を見失った感覚の女性」のお話をきいていると、この「いい人」「他人軸」の罠にはまっている人も多いと実感しています。
自分軸を保つために、自分と他人の間に境界線をもつ
自分のことをお留守になってしまって、他の人のために人生を過ごしている時、とても充実感や頼りにされているという自己充足感を感じます。「私は役に立っている」そんな事実も自己価値を満たす行為です。
そして、仕事とはそいう側面を持っているものでもあります。「働く」とは「側(はた)を楽にする」とも言いますよね。でもこの適応、対応し過ぎてしまう適応さんには、自分と他人の間に境界線を引くことを意識することがだいじになってきます。
バウンダリー(境界線)を意識していますか
バウンダリーという概念を聞いたことはありますか。物理的、心理的に自分と他人の間に境界線を引くことです。ヒーリングやカウンセリングをされる方には、セッションをする上でとても大事な概念となっています。
どんなに悲しい話や、愚痴、辛い体験などを聞いても、共感はしても自分の感情として同情しないということです。人の話を聞くときに、真摯に丁寧に聞きますが、その感情に一緒にならないのです。
このバウンダリーを意識することで、自分の中に相手の負のエネルギーや混乱が自分の中に入ることはありません。この人は悲しいんだな、辛いんだな、と客観的に冷静に捉えられるのです。
冷静に相手のことを見ることができるスタンスでいると、その奥の感情や何がそこにあるのかが冷静に見えてきます。ジャッジをするのでも、それに批判をするのでもなく、ただ、そうなんだなあと見ている状況です。
今までは他人や環境の状況に、反応してその場を収めようとしていた意識から観察者になるのです。
そして静かに自分がその状況を見て行くと、相手の感情やネガティブなエネルギーは私の自分の中には入って来ないのです。
このスタンスでお話を聞くことをしていくと、人の話を聞いて疲れたということが減って行きます。そもそも疲れるようなお話だったら、その場を去る、話を切り替えるなど自分の意思で対応できるようになります。
そしてもう一歩進むと、その状況から自分へのメッセージは何か、この事実から自分は何を感じるのかという、自分に矢印を向ける意識になり、自分への気づきにつながることになります。
自分の心を知るには・まとめ
共感性の高い人は、相手を思いやり全体性を大事にする資質がある。
優しくて、全体のことをおもんばかる優しい人。そんな人こそ、他人との境界線(バウンダリー)を意識して、自分の内側に意識を向けることが大事です。
自分を置いておいて、他の誰かのためにという意識では、自分のことが分からなくなってしまいがちです。私は今何に違和感を感じているのか、何が気になっているのか、何に怒りを感じているのか、その感情や間隔をみのがさないで受け止めて行きましょう。
自分のことを知っていくと、相手のことがより見えてきます。
そうすることによって、自分の心や想いをないがしろにせずに、自分も人にも持っている愛や貢献を自然な形で持続可能な形でしていけるのです。
この記事を書いた人
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植物と人をつなぐ緑の人。
プランツコミュニケーション、植物セラピー、アロマテラピーの観点から日常を「植物と共に、より自然になる」をテーマにお届けします。
心眼であなたの光を撮影するフォトヒーラー。
起業家さんのビジネスカウンセリング、「自然な自分に戻る」ライフカウンセリングをHanna Happinessとして活動しています。
伊豆の畑を耕しながら、東京・世田谷暮らし。神奈川・二宮に拠点を新設。
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